googlec1b3bd050e3c2542.html オニクダのスピリチュアルな毎日: 2008

2008年12月18日木曜日

「愛しています。」


愛しています。別に恋とかじゃなくても「愛しています。」何度でも何度でも、心の中で呟き続けます。今気になっている事があったらそのこと思いに浮かべつつ「愛しています。」ネガティブな感情に覆われてると気づけたら、すぐ「愛しています。」布団の中で不安に襲われて、なかなか眠れないときに、「愛しています。」通勤途中のいつもの光景に感動を見つけれたなら、「愛しています。」映画を見て感動したなら、「愛しています。」「愛しています。」


「愛しています。」この呪文を唱えてください。効果ですか?それは自分で試してみるのが一番です。試したところで、失うものはありません。恐らく小さな心の平安が生まれるかもしれません。大事なのは、自分の心の状態に注意を払ってみることです。普段生活していると、なかなか心の状態をチェックできずに流されてしまいます。いろいろなことが重なり、叫びたくなるほどつらい時に、ちょっと立ち止まってみましょう。今、心の中はどんな状態か。最悪の気分ですか、大丈夫です、「今、私の心は最悪の気分だ。そのことに気づいた。」これで1歩前進です。次はさらに1歩、その最悪の気分をじっくり味わってみましょう。色にすると何色か、体のどの辺で感じているか、そしてどんな形なのか、大きさは、動いているか、静止しているか。正解はありません。その事に集中することが大事なのです。このときの注意点、その最悪な気分を消そうとしてはいけません。そのままにしておくのです。消そうとする(抵抗する)と逆に強くなっていきます。


じっくりと味わいましょう。そして心の中で、「愛しています。」一瞬で問題を解決できるような特効薬ではないかもしれません。でも、いつでもどこでも簡単にできます。恐らくはやり方を忘れることもないでしょう。だって「愛しています。」と心の中で言うだけですから。

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2008年12月16日火曜日

「スピリチュアル・マスター その1 シャーリー・マクレーン」

マスターと呼ばれる人たちがいる。とはいっても決して教祖様的な存在ではない。私たちと同じように生活している人たちなのだけど、他の人たちよりも霊的な気づきが早かったといえば分かり易いかもしれない。何らかの理由で、宇宙の仕組みを知ることが出来たりした人たちです。そういう人たちは、他の人を助ける役割があるといわれています。

今回紹介するマスターは、そう、あの大女優シャーリーマクレーンです。ジャック・レモンとの共演で有名な、「アパートの鍵貸します」(ビリーワイルダー監督)での演技は最高です。彼女が自らの体験を元に出した本が「アウト・オン・ア・リム」。これがベストセラーになります。でも、当初は本の出版に先立ちいろいろと葛藤があったそうです。内容的に、自ら体験した神秘的な出来事を包み隠さず明かしているため、ややもすると、頭がおかしくなったと思われかねません。本の中でも、これらの葛藤は描かれています。しかし、彼女の女優としてのネームバリューと信用を生かし、多くの人が精神世界に興味を持つきっかけになりました。

この本はぜひ一度読んでいただきたいです。彼女の私生活(不倫、映画出演、ペルー旅行)がまるで小説のように最後まで読ませてくれます。神秘体験といっても、普通の人間なのです。煙草も吸うし、不倫だってする、肉だって食べるし、喧嘩だってする。大事なことは、そんなルールではないのです。視点を宇宙レベルに広げることができれば、人生が違ったものになるはずです。宗教界の有名人とは違い、気さくで素敵なマスター・シャーリーは精神世界への興味をよりかきたててくれました。

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2008年12月10日水曜日

「精神世界の本」

本屋さんに行くと、精神世界関連の本がたくさんあります。大きな本屋では、専門のコーナーがあるくらいです。ただ、いわゆる宗教団体のように組織化されているわけではありませんので、様々な立場の人が様々な意見を述べています。ためしに数冊読んでみると、もしかしたら本によっては全く逆のことが書かれているなんてこともあるかもしれません。これはよくあることです。そんな時は、目くじらを立てずに文脈から本質的な部分を読み取ってみましょう。宗教団体のように、統一された戒律がないので人の解釈により意見が分かれることはあります。ただ、基本的には同じことを言っていると思います。逆に言うならば、まったく別の立場にいる著者の書いたものでもあるにもかかわらず、内容的に同じになるというのはすごいことだと思います。あともう一点「言葉の持つ制約」というものがあります。どうしても言葉で表現できるものには限界があります。同じ単語でも著者によって定義の仕方が違ってくると、全体の文章も意味が逆になるなんてこともあり得ます。何事もそうですが、そこから自分がどんな益を得られたかが大事です。所詮、精神世界の教えも一つの道具です。使いこなしましょう。使いにくいと感じたら、自分に合ったものを新たに探せばよいのです。道具は使うものです。道具に使われたのでは、本末転倒ですね。宗教にはまり込んでいる人と言うのはそんな状態だと思います。

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2008年12月9日火曜日

「引き寄せの法則」

最近、この言葉をよく耳にしますね。私も、書店で、関連本を買いその法則を知りました。この法則は、とりわけ特別の才能が必要なものではなく、すでに誰しも働いてる法則なのです。重力が、その仕組みを知っていようが、いまいが関係なく平等に働いているのと同じです。ただ、大事な点は、自分でコントロールできるかどうかという点です。私自身日々実践しているつもりですが、目立った形での成果を実感するには至っていません。前向きに生きるということに近いのかもしれません。それは、感じます。流されて生きていると、不安や、苦しみに耐えられず生きるのが嫌になることもあります。私自身、何度も生きている事が面倒くさくなってしまった事があります。人間は放っておくとネガティブな方に向かいがちです。引き寄せの法則の良いところは、流されないでいることができる点です。常に自分の感じ方を意識し、自分の望む方向を意識します。それがすぐに実現するとは限りませんが、この心がけだけでも生活は変わります。自分が望んでいない方向に進んでいるとき、人は不安を感じるものです。ですから、普段の生活で何となく不安になった時、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。不安を感じた時は、そのままにしないで、一つ一つ、解決していく、その癖をつけるとよいと思います。私も、ゆっくりですが、良い方向に向かっているのは感じます。

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2008年12月8日月曜日

「不公平な人生」

クリスチャンだった子供の頃、世の中はなぜ公平にできていないのかと疑問に感じたものです。体に障害がある人、生まれながらの金持ち、ルックスについて、才能、環境、etc,,,。聖書では、ハルマゲドン後の世界について書かれていて、そこでは、全ての不公平がなくなると書かれています。だから、そこに生き残るために、今聖書をあてはめていきましょうと。でもこれは、今現在の不公平の意味についての説明にはなっていません。輪廻転生は違う見方をしています。人は何度も生まれ変わりを繰り返している。今の人生もそのうちの一つに過ぎないのです。今、苦しい条件のもとで生まれてきた人はほかの人より多くの体験を経て、良くなろうとします。魂は、生まれ変わりの際にどんな人生にするか選択できるそうです。つまり、今の私たちの、この境遇は魂のレベルで自ら選んだものと言うことです。魂は生まれ変わりのたびに、成長するといいましたが、苦しい条件のもとで生まれる魂は、かなり成長のレベルの高い魂なのかもしれません。テレビゲームで例えるなら、上級者ほど、少ないアイテムで再度ゲームにチャレンジするようなものです。普通の感覚では、かわいそうに感じる人たちも、魂のレベルでは素晴らしい経験をできる選ばれた人たちなのかもしれません。この考え方に、私は、愛を感じます。

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2008年12月7日日曜日

「迷った時は、感情に聞いてみる。」

さまざな人が、さまざな立場で、意見を述べる。常識と言われるものでさえ、所変われば逆転していたりする。時々誰を信じていいかわからなくなることもあると思います。最終的には自分を信じるしかないのですが。その自分にすら、確信が持てない時があります。そんな時は自分がどう感じているかをチェックしてみましょう。喜びや、心地よさ、愛などの前向きな感情がある時は、その時の自分の行動に自信を持って行い続けましょう。もし、不安や、怒りなどの後ろ向きな感じを受ける場合は、本当に自分が望んでいることとは違うのかもしれません。自分の生き方を知りたいときに、宗教の門をたたく必要はないのです。もちろん宗教に頼っても問題はないのですが、それが唯一ではないということです。われわれには、感情という簡単でシンプルでわかりやすい道具が備わっているのですから使わない手はありません。われわれが生きる上で、しなければならない戒律はありません。でも、あえて挙げるとするならば、「喜びを感じる」ことかもしれません。感情は間違うことはありません。それは愛に基づいて動かされています。あまりにも簡単すぎるので信じられない人が多いのも事実です。人生の目的を苦行に見出す人もいます。貧しいことが絶対美しいという見方もあります。確かにそれらも一つのあり方でしょうが、絶対ではありません。人それぞれ違っていて当然なのです。

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2008年12月6日土曜日

「魂は不滅。」


人が死ぬと、本来の姿である魂の状態に戻ります。宗教によっては、様々な説明の仕方がなされています。生きている間の罪滅ぼしをしなくてはいけないといった類のものです。私は、そうではないと思います。いや、思いたいです。ちょうどテレビゲームを選ぶように、「今回の人生は●●が体験できて本当によかった、でも、もっと上のレベルの体験を目指したいから、また、別の人生を選び、人間として生まれてみよう。」などと言いながら。そうやって、何度も何度も人間として、生まれてくるのです。これが輪廻転生です。このことを知ると、いや、こう考えると、少し人生に対する見方が変わってきます。今の人生ですべてではない、何度もチャンスはあるのだと。それを知ったうえで、今の人生で、できる限り生きてみるのです。私たちの魂は、今までにも何度も様々な時代に、様々な人種・性別で、様々な境遇で、生まれては死ぬ、を繰り返しています。今現在、ひどく貧乏で、孤独でも、それ以前には、華やかな身分で豪華な暮らしをしていたかもしれません。そして、毎回生まれ変わるたびに、少しずつ成長しているということが大事な点です。さて、今回の人生での私たちの成長するための課題は何でしょうか。人それぞれありますので、それを探し当てるのも、また楽しい作業です。

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2008年12月5日金曜日

「輪廻転生とテレビゲーム。」


私が常ずね思うことは、輪廻転生とは、例えるなら、「バイオハザード」のようなテレビゲームだということです。われわれは、本来、肉体とは別の存在です。魂と言うとわかりやすいのかもしれません。魂の状態では、苦しみも悲しみもなく、愛に包まれています。魂のままでいることも可能ですが、多くの魂たちは、人間として肉体をもち、今我々がいるこの世界に来ることを望みます。しかも、1度ならず何度もです。なぜでしょうか?理由は、体験したいからです。「許し」を体験したいのです。でも、周りにいる人たちが完璧でやさしい人たちばかりなら、許しを体験できません。ここで、テレビゲーム「バイオハザード」のこと思いだしてください。私も一時期夢中になりました。新作が出るとすぐに買って、ゾンビたちの中に迷い込んだものです。では、私は、このゲームに何を求めていたのでしょうか。そう、普段ではできない体験です。バーチャルな世界とはいえ夢中になっている間はその世界に入り込んでいます。仮に、ゾンビに殺されても心配はありません。ゲームの電源を消したころには、元の現実の世界で元気に生活できるからです。実は、これは輪廻転生にも当てはまることです。つまり、肉体は死んでも、魂は死なないということです。

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2008年12月4日木曜日

「1日の始まり。」

朝、目がさめる時皆さんは、どんな感触だろうか。もちろん、日によって感じ方は違うだろうけども。私の場合、何となく不安を感じることが多い。いろいろな要素が関係しているのだろう、カーテンから射す、朝日の具合だったり、直前まで見ていた夢の後味だったり。最近は、朝目覚めた直後に行う儀式がある。いつものよううに不安を感じた時には、心の中で、「愛しています」を呟き続ける。そして、何を不安に感じているのか、考えてみる。最後にその不安な感覚に思い切って浸ってみる。できたら、体の感覚として、どの辺にあるのか、色にすると何色か、大きさは、などを感じてみる。するとだんだん、不安が小さくなっていく。これは、つまり抵抗してはいけないということなのでしょう。受け入れることの大切さを学んでいます。これは何も、朝だけの話ではなく、日常いつでも使えます。不安、怒り、嫉妬、自分にとってプラスにならない感情、心地よくない感情。それらが湧いてきたときには、焦らずにゆっくりと、その感情に浸ってみましょう。そして、そんな自分を客観的に眺めてみましょう。例えるなら、体から魂が抜けて、自分の頭上に浮かび、自分を眺めているかのようにです。そもそも、そんな感情を抱くことに罪悪感を感じかねませんが、その必要はないのです。人間としてこの世界に生れてきた目的の一つに、様々な体験をすることがあります。「怒り」を体験中。「不安」を体験中。「嫉妬」を体験中。そうやって、客観的に自分を眺めてみましょう。すると、それらの感情に引きずられずに済みます。

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2008年12月3日水曜日

精神世界の魅力

宗教から抜け出した私が、精神世界に魅かれたその理由をお話しします。精神世界には、戒律というものがありません。聖書でいう、10戒のようなものです。キリスト教では、戒律が厳しく、従わないものは、罰せられます。自然と信者は罪悪感を抱くようになります。精神世界には、戒律がないので、当然罰せられることもありません。そもそも、誰が罰するのでしょうか?聖書では、神でした。愛の神と言われているにもかかわらず。精神世界では、幸せになるための近道として、アドバイス的なことは教えられます。でも、そのアドバイスに従わないからと言って、罰せられることはありません。従うか、従わないかは、個人の自由だからです。従わないと、確かに本当の幸せまでは遠回りすることになるかもしれません。最短距離で生きたいのなら、神のアドバイスに耳を傾ければよいのです。神は、様々な形で、私たちに語りかけてくれています。重要なのは、我々の方が神の語りかけの気づくかどうかです。神は、語りかける際に、特定の宗教だけを使うということはありません。特定の国民、時代、立場関係なくすべての人に平等に語りかけています。私たちが、心から幸せを望む時、何気なく見上げた空の色に心が動かされるかもしれません。そこから私たちが何かを感じ取ることができれば、それはもう立派な神とのコミュニケーションです。

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2008年12月2日火曜日

精神世界との出会い。


精神世界に興味を満つようになった気かっけは、ニール・D・ウォルシュ著「神との対話」からだった。私は、小学生の時から、エホバの証人というキリスト教系の宗教で活動していた。とはいっても最初の頃は母親に連れられて、訳もわからず集会や、布教活動について回っていただけでした。子どもにとって母親は絶対的なもので、その母の勧める教え、ということで私自身その宗教にすっかり染まっていました。それからの私は、とにかく熱心に活動しました。高校卒業と同時に不活発になるまでは、学校から帰るといつもすぐに着替えて布教活動に専念していました。成人して、無宗教になったものの、幼いころから植えつけられた、神という存在は、捨てることができませんでした。いつも見られている感じ。つまり、罪悪感がつきまとうのです。エホバの証人を正式に脱会(排斥と言う)したのは、今から2年ほど前の、29歳の時です。それまでは、宙ぶらりんな状態でいたのですが、ある事をきっかけに、自分の立場をはっきりさせたいと思うようになりました。その、ある事とは、精神世界との出会いでした。1度宗教にうんざりした人間にとって、別の宗教団体に加入するという選択肢はありません。精神世界は、神や、魂と言った用語がよく使われ宗教と混同されがちですが、まったく別のものです。これは自信を持って言えます。精神世界を学び、それまで誤解していた、「輪廻転生」の素晴らしさや、世の中の不公平についてその理由を知るにつれて、それまでの聖書の教えにはない、知識に感動しました。エホバの証人を脱会するということは、リスクが伴うことでした。家族はいまだに信者ですので。コミュニケーションが制限されてしまいます。また、何よりも愛する家族を悲しませることになります。最初に、不活発になったころは、単に自由になりたかった、好きなことがしたかった、などの理由でした。でも、精神世界を学び、裏付けを得た今としては、立場をはっきりすることが、自分に正直で、喜びのある選択でした。家族にはまだ完全に理解してもらえてません。今は、急がずに時が来たら語り合うことができると信じています。

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2008年12月1日月曜日

日々の変化に敏感である。



様々な、精神世界関係の本を読み、自分なりに知識は蓄えてきたつもりではいる。しかし、実生活に役立てることができているかと言われると、自信がなくなる。考え方は、確かに変わった。ものの見方や受け止め方。でも、よく本に載っているような、生活が劇的に変わった人たちに比べると、小さなことに感じる。一度読んで理解したつもりの本でも、しばらく間をおいて読み直すと、新たな発見が多いことがある。こと、精神世界系の本は特にそうだ。読んだ直後は、その内容に感動し、しばらく意識して生活するものの、時間の経過とともに忘れていき、また別の本に飛びつく。こんなことの繰り返しだ。変化は小さいかもしれないが、確実に変化しているのは事実だと思う。ただ、ゆっくりとしたものなので気づきにくい。1年前の自分と、今の自分を比べて何が変わったているか。生活面では、そんなに大きな変化はないかもしれない。でも、精神面では、変化していることに気づいた。例えば、落ち込んだ時の対処法を知ったこと。これだけでも、大きな収穫だ。しかし、欲があるものでもっと良くなりたい。もっと、理解したい。体験したい。そう思っては、また同じ本を読みなおす。毎日の流れの中での小さな変化に敏感でありたい。そんな思いから、このブログをスタートします。

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